女性「9条の会」ニュース42 号 2017 年12 月号

 

1面  

「国難」の連発に危惧                     関 千枝子(女性「九条の会」世話人)
 

 選挙中、安倍首相が連発したのが「国難」だった。ミサイル発射をつづける〝北朝鮮の脅威と少子化〟が国難だというのだが。私は、「戦争の始まったころ」を思い出し何とも恐ろしいと思った。
 「国難」。この言葉、私の幼い時、日本中を闊歩していた。そして、国民を「愛国」へ、「強い国」へ、加害の日本に突き進ませたキャッチフレーズだった。
 私は1932年3月下旬の生まれである。その前年、1931年(昭和6年)満州事変勃発、翌32年の3月に満州国建国宣言が行われた。乳飲み子が、「国難」などという言葉をわかる筈はないのだが、歴史書、年表等で調べてみても、確かにこの年から「国難」「非常時」という言葉が流行ったとある。多分その言葉は少し物心がつくころまで、大いに言われていたのだろう。
 日本の満州政策は諸外国の批判を浴び、日本は国際連盟まで脱退してしまう。多くの国から相手にされず、ファシズムのナチドイツやムソリーニのイタリアと手を結ぶようになっていくのだが。驚いたことに、満州建国の翌年の33年、「第一回関東防空大演習」が行われ、灯火管制まで行われた。当時の航空のレベルである、中国から爆撃機が来るはずもないのに、非常時をあおったのだ。この時、信濃毎日新聞の桐生悠々は、大演習を嗤う論説を書き、政府、軍の圧力で新聞社を辞めざるを得なくなった。言論の自由も失われていく。
北朝鮮のミサイル発射、あの国の核大国思想はもちろん大反対だが、まるで戦争が始まっているような大騒ぎは、かつての「防空演習」騒ぎ、満州事変後の国民を銃後の守りに駆り立てた歴史を思い出させる。
 1937年シナ事変(日中戦争)がはじまってからは「国民総動員」の時代。兵士の死亡が増え満州への動員が進む中、「産めよ増やせよ」が強調される。最低5人の子を持てといわれ、子どもの少ない母は非国民扱い。10人以上の子を持つ母は表彰された。そしてそれは「健康な子を産め~悪い遺伝子を持つ子は産むな」という優性思想になっていった。
 安倍さんの「国難」の言葉を聞くと、まざまざと15年戦争(アジア太平洋戦争)の亡霊が浮かび上がってくる。私に言わせれば、国の財政の大赤字をも顧みず、トランプ・アメリカ大統領に言われるまま、大量の兵器を買い込む(買いこまされる)方がよほど「国難」だと思うのだが。
 国難をちらつかせ、同盟国のためならば、喜んで海外に参りましょう、戦死も厭いません、と憲法を変えたい人々。許せない。選挙のとき、よくわからないで改憲派に一票を入れた人々も多い。いま、何とか改憲を止めるには、9条を守る署名を一人でも多く集めるしかない。大変な数だが、3000万人署名を集めれば、これでは国会で発議しても国民投票で負ける、慎重になろうと考える改憲派もいるかもしれない。とにかく、今平和憲法を。9条を守るためにできること、「署名」に全力をあげたい。
           
    

                                         

 


2面〜6面      女性「九条の会」憲法学習会        日時 2017年11月4日  於 文京シビックセンター

            教科化と管理される教師たち
  
          

 

             講師 鶴田敦子さん(元聖心女子大学教授)


 道徳教育について

■はじめに
 「うちの子は挨拶もろくにできないから学校で教えてもらうと嬉しい」という道徳の教育に賛成の人は保護者の7割にものぼります。その思いを否定はしません。社会に順応していくためには挨拶ができないと困るわけですから。でも、挨拶は何のためにするのかと考えさせないで、「挨拶しなさい」とか、教科書に書いてあるように「あいさつをするときもちがいい」と教えるのは教育なのでしょうか。フランスでは、「挨拶とはなんだろう」「嫉妬心って何だろう」「誠実、不誠実とは何だろう」と考えるのが学校であって、「嫉妬はいけない」とかいう価値観は教えないといいます。日本の道徳は特殊なのです。その道徳教育が来年から教科化されます。
管理される教師と子どもたち
 今学校では、子どもたちも教師も、ものすごく管理されています。「指導不足教員」という言葉を聞いたことありますか?指導不足教員とされた人たちは教育センターのようなところに連れて行かれて模擬授業をさせられ、些細なことで揚げ足をとられるなどの威圧を受け、3年やって見込みがないと判断されたら解雇されるのです。すると教員は萎縮します。
 子どもも管理されています。道徳教育が評価の対象になったのです。点数はつけないそうですが、文章でも点数でも道徳性は何で判断するのでしょうか。子どもは、良いと言われればその方向に進んでいきますし、悪いと言われれば自分は人間として駄目なんだと思うわけです。どちらも人間の内面を評価するという問題があります。このようなことは、もう20年も前から同じようなことが行われているのです。全ての教科に関心・意欲・態度というものがあります。あれはどうやって評価しているのでしょうか。忘れ物をしないこと、質問に手をまっすぐ上に上げて大きな声でハイと言うこと、図書館から本を何冊借りたかで関心・意欲・態度を決める先生もいます。だから子どもたちはみんなまっすぐに手を挙げて大きな声でハイといい、読みもしない本を20冊も持って帰るというようなことも起こります。 それって何でしょう。先生と話をすると、どの子に関心意欲があるかは見ただけでわかると言います。でもそれをもって評価していいということではないと思います。
家庭教育支援法
 本来なら、男性も女性も帰宅時間が遅くならないように国が企業に働きかけなさいとか、みんなが安心して働いて生活できようにするのが家庭支援です。フィンランドは学力テストで世界一だということなので、どんな教育をしているのか見に行きました。そうしたら特別な教育をやっている訳ではないのです。その代わり、この国は父母の家庭生活の時間が世界一長い国なのです。すると子どもは親と一緒に過ごす時間が長くなります。もう一つは、経済格差が一番少ない国なのです。国がやるべき家庭教育支援は、経済格差をなくして、ゆったりした生活時間を保障することだと思います。
 家庭教育支援法は、今後国会に出されますが、それを先取りして条例をつくっている県が8県もあります。私は群馬県のものを見ましたが、父母の役割や、祖父母の役割も書いてあります。父母の役割を条例で決める、これはまさしく家庭生活のあり方に権力が入り込むことなのです。

国家が語る教育観

  小渕内閣が2000年に諮問会議「21世紀の日本の構想懇談会」というものをつくりました。安倍さんの
「教育再生実行会議」のようなものです。座長は河合隼雄です。この人は道徳教育に熱心で京都ではこの人の考えに基づいた道徳教育がはやりました。答申には下記のようなことが書かれています。
 国家権力に国民を従わせるために教育があると言っているのですね。しかし有能なエリートは国家にとっても利益があるからお金を出して教育しようということです。だから今高校は、スーパーサイエンス高校に指定された学校とそうでない学校があります。スーパーサイエンス高校には1000万もの予算が下りるのです。

「21世紀の日本の構想懇談会」答申 
第5章 
 国家にとって教育とは一つの統治行為だということである。
 最低限度の計算能力のない、合理的思考力の欠如した国民に対して、暴力や抑圧によらない治安を供与することは不可能である。
 そうした点から考えると、教育は一面に於いて警察や司法機関などに許された権能にちかいものを備え、それを補完する機能を持つと考えられる。
 しかし有能な個人が自己実現に成功すれば、それが逆に国家あるいは国民の利益に繋がることは自明の理である。
 そのために財政的な支出を行うことは、それ事態が国益に叶う物として国家の機能のうちに数えられるべきであろう。

戦後間もなくから修身の復活を目指した政権与党

 日本政府は、戦争に負けて修身が廃止された直後の1949には愛国心を養わなければいけないと、修身復活の考えを持ち始め、58年には道徳教育の復活とそれに反対する意見のせめぎ合いの中で、特設として「道徳の時間」を設けました。でもまだ教員組合運動が盛んだったので教師たちは道徳教育には積極的に取り組まなかったのですが、道徳教育にはそういう歴史が重ねられてきたのです。戦前の国家は「滅私奉公」の人間像をつくるために修身を置いていたのですが、その方が国家にとっては都合がいいわけです。だから今回、「いじめ問題」にかこつけて「道徳」を教科として成立・復活させたのです。
道徳の教科化
 2000年に森内閣は、教育改革国民会議が唱える「教育を変える17条の提案」の中で、「学校は道徳を教えることをためらわない」として 小・中・高等学校で道徳教育を行う提案をしています。そして教育基本法の改正が2006年に行われます。安倍内閣の時です。
 第2条に「教育目標」として道徳的項目を盛込みます。
 学習指導要領は「集団や社会との関わりに関すること」や「生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」に力を入れています。でも文科省によるパイロット版の道徳教科書を見ると、人の命の大切さや殺してはいけないという生命への権利の内容は出てきません。
 中学校の教科書には「命には偶然性と有限性と連続性がある」と書いてあります。偶然性について2ページ、有限性・連続性についても各2ページ使っています。「自分の生命は誰かに連続されていく」ということを最終的に中学校で押さえるのは特攻隊の精神に繋がるかもしれないと思いました。生存の権利をとりあげず、動植物の生命の尊重はあっても人間の生命の尊重は希薄にして、「崇高なものを尊び」と出てくるのです。
 勤労と奉仕の精神のところでは、小学校1年生から中学校まで一貫して「みんなのため、社会のために働くことに、そのためにみなさんの身体を使いなさい」という姿勢が貫かれています。勤労にはそういう一面もあるけれど勤労は義務だけでしょうか。憲法には「勤労の権利を有し、義務を負ふ」と書いてあります。その片方を抜かして義務だけを書くのはバランスを欠いています。働く場所を求める権利が国民にはあると書かなければいけないのです。公共とは、憲法に基づく市民的権利を主張できる空間や性質のことであり「みんなのため」とかいうのではありません。こんなことを小さな時から言われるから、日本人は過労死という事態を招いてしまうのではないかとさえ思います。
 戦前の修身と今子どもたちに与える学習指導要領の項目を比較してみました。「滅私」は全く同じです。「ひたすら反省する」や「勤労」のところもほぼ一致しています。全く同じとは言いませんが8分通り一致していると思います。道徳がどういう姿勢でつくられたかは一目瞭然だと思います。

「学校教育の中核に道徳教育」?

 新学習指導要領には「本来道徳教育は学校の中核となるべきものであるが…」と書いてあります。学校教育の中核が道徳教育というのは戦前の修身体制のあった学校です。先生も全部それに従っていたのです。それを今言っているのです。ですから内閣が「教育勅語」を復活させても良いのではないかという言葉に繋がるのです。彼らは今の教育と教育勅語と修身が繋がることを良しとしているのです。
 教育勅語は朕という国家の一人の指導者が、権力を持たない臣民(従僕)に対して下した言葉です。「夫婦相和し」を良いことが書いてあるというのは余りにも読み方を知らない人です。男尊女卑の時代の夫婦は今の夫婦とは違うのです。「兄弟仲良く」だって長男に権力があって他のものは無権利なのだから、良いことが書いてあるなんて私たちが思う訳ありません。そして一旦何ごとかあれば天皇陛下のために身を捨てて戦う、これのどこが良いのでしょうか。これを1948年に国会で否定した文書が残っているにもかかわらず、今、「良いものがある」というのは、この人たちの後ろに、ずっと前から昔の時代を取り戻したいという勢力があったからです。

日本会議とは

 1948年に紀元節を廃止しましたが、即この人たちは建国の日を求める運動を始めます。そして1966年には建国の日の制定に成功します。ここから彼らは勢いづいていきます。戦前の家族国家観に基づいて天皇にみんなが従う国のあり方に美を感じる人々は、私たちがやっと日本は民主的な国に向かって歩み始めたと喜んでいるときに、そうでない道を求めて着々とやって来たのです。
 第三次安倍内閣では70名の内、約6割が日本会議の人たちです。そして国会議員の4割が日本会議で占められています。萩生田氏はずっと日本会議にいました。こういう人たちがいつの間にか政治の中枢を押さえているから、秘密保護法だとか、共謀罪だとか、国会が昔否定してきたものをどんどん通してしまっている。政治の仕組みがいつの間にかそういう人たちに握られてしまっているということです。道徳はそういうところから来ているととらえる必要があります。
 他の教科はどうなるのでしょう
 新学習指導要領では、学力という言葉が消え、資質・能力という言葉になっていきます。
 これからの人工知能の時代に古くさい知識なんか持っていても役に立たないから、思考力・表現力・判断力という「知」をつくり出さなければと言います。ロボットがほとんどやってくれる時代になると言います。銀行が窓口を減らして、駅の改札のようになっていく。そういう時代になるのだからと言います。でもこれまでの「知」をなくして新しい「知」を生み出すことはできるのでしょうか。一部のエリートはできるかも知れない。彼らは小さいときからお金を使って塾や家庭教師がいて、家には文化がある。そういう人達は、そこで得た「知」をもとに、「思考力・判断力・表現力」等を伸ばすことができるかもしれない。一方で、それは、「できること、できる事をどう使うか」を重視し、「主体的・対話的・深い学び」(アクティブラーニング)で、それも評価するといいます。
 知識の理解には、それそれが直ぐできるようになることと、なかなかできるようにならないものもあります。でも、「できることをどう使うかまで」行けというのです。小学校にプログラミング教育を入れました。コンピューターの操作を小学校からやるのです。英語もそうです。それを求めているのは経済界ではないでしょうか。
 そして、資質・能力の3つ目の柱には、「人間性」も位置づけています。それは道徳性の別表現です。教科にも道徳が位置付き、ここでも評価するのです。例えば理科の人間性は、実験ではみんなで協力しているか、家庭科では率先してゴミ捨てをしたかで判断している例もあります。道徳は道徳の時間だけで判断するわけではないのです。全ての教科にも道徳が入ってきます。学習指導要領には「道徳がその頂点に位置づく」と書いてあります。ということは子どもにとってはいつでも良い子でなければいけないということになります。その道徳は小・中学校とも担任が教えます。中学校も道徳を担任が教えるのです。中学校以上は、教科の担当者はその教科の教員免許状を有することが原則です。哲学や倫理を十分に勉強していない教師が、道徳を教えることができるわけがありません。
 大学生にこれまで受けてきた道徳の授業を聞くと、道徳の授業はあったけれど10分もすると結論がわかってしまう。だからひたすら我慢して、先生の求めることを書きましたと言います。それは決して教育ではなく二枚舌を教えていることです。「世渡り術」です。それは日本の国民の将来にとっても良くない。国会議員たちを見るといかに世渡り術を見につけた人が多いかがわかります。

幼児期教育を重視

 今までにこれほど幼児教育を重視した学習指導要領はありません。学習指導要領では、幼児期の終わりまでに育ってほしい10項目を挙げています。幼児教育については11ページも使って書いているのです。経済競争に力を入れている国は幼児教育を重視しているということですが、「幼児期から感情をコントロールする能力」が重要といいます。この頃から「滅私」を教え込むのです。幼児期に自分の感情を抑えることを叩き込まれた子どもたちは将来金持ちになり、学歴も良く経済的に安定しているという研究があるそうです。下村文科大臣が最近出された著書に引用して書いてあります。子どもが感情を抑えるためには大人も感情が安定していなければなりません。親がゆとりを持って子どもに接していれば、子どもはそう育つかも知れません。環境が能力を育てているのです。子どもは小学4年生ぐらいまでは個人差が大きく、とても10項目を達成できる段階ではないのです。発達を考慮したかどうか定かではありませんが、強制して教育していたのが森友学園です。子どもの諸能力を成長・発達させるという教育ではありません。 尾木直樹さんは、西欧の国々の人が、「この世界におかしな国が2つあります。一つは北朝鮮、もう一つは日本です。何故かというと反対しない国民だからです」と話す事を紹介していました。そのような国民を育成したのは、道徳教育の「滅私」ではないでしょうか。

 

教師について

■ 追い詰められる教師と子ども

 教師も本当に大変な時代になってきました。福井県の池田町の二人の教師の暴言で子どもが自殺した問題がありました。今現場でパッパッと動ける教師を「あれは使える教師」、悩む教師は「使えない教師」と言うようです。二人の教師は「使える教師」として見られたいがために指導を強めたのでしょうか。池田小学校は学力テストでその町のトップになったのだそうです。ということは、校長先生のはりきりとそれに協力する先生たち、そのストレスと子どもたちの関係の中で起こった出来事であるようにも思うのです。
 横浜の教育委員会では、いじめられていた子どもが100万円もカツゲされていたのに、教育長が「調べなければいじめかどうかわかりません」と言いました。自分から100万円も上納するわけはありませんから調べなくてもわかるはずなのに、調べなければわからないと答える教育長はマニュアルを調べて、いじめかどうかを認定していることになります。マニュアル通りにやるならロボットでいいのです。人間のやることは人間性に基づく感覚でいじめかどうかを判断することです。そういう感覚を親も教師も子どもも持たなくてはならないのに、上に立つ人がマニュアル人間になってしまっているように思います。

■教員の地位は守られているのか 

 1980年代ぐらいまでは日教組を中心にして、文科省に対する批判的な意見を提言して暴走を止めてきました。ところが80年代後半に「連合」が生まれて、労働組合自体が変わっていきました。それ以来教職員組合の運動は弱体化してしまいました。今日本の教師は全ての教師がブラック企業に勤めているということになります。残業時間が月に80時間ぐらいがざらになっています。小学校の先生でも帰宅は9時、中学校は10時とか、子どものいる先生には働きにくい状況が生まれています。提出する書類が多く、パソコンの前にいる時間が増えているからです。そうすると、子どものいじめをなくすどころではありません。教員が一体どこでこういうことになったのかという議論をしないで、こういう教育が理想だなどと語るのはおかしいのです。
 今教員数の2割ぐらいしか組合に加入しないのです。一方で人事考課などがあって評価され、指導不足教員などと脅かされて、生徒と十分に向き合う時間がないとすると、教員が親御さんに期待を持たされるようなことをできない状況になる。評価が入るわけですから、競争社会となり、同業の中で相談しにくい状況が生み出されます。教員の問題は攻める矛先を私たちは変えなければならないのではないかと思います。
「チーム学校」としての学校づくり
 学習指導要領でいう「チーム学校」は、校長を頂点に、副校長、主幹教諭、道徳教育推進教諭などの階級を置くというピラミット型の構造の中で、校長の指示に従って学校の名前を上げるために行動します。そして「チームとしての学校と、家庭・地域との連携や協働を行う」と学習指導要領に書いてあるのです。「地域学校協働本部」をつくるというプランとも連携して、学校も地域も家庭も変える中で、教員にはこのような役割を持ってもらうという改訂なのです。

■教員養成 

 大学においては、教員養成課程の認定にかかわって、大学の教員が担当する科目の授業の指導計画であるシラバスを文科省に提出し、チエックをうけるだけでなく、修正が求められるという事態がおきています。。長女茶々は秀吉の子どもを生みますが、妹は徳川二代将軍の妻になり、姉を滅ぼします。姉妹仲良くなんかできません。女はどうでもいのです。

・教員に対する政策の強化 

 戦前の師範学校は先生になるためだけの教育を行うところで、教育勅語と修身を身につけた先生に育てる学校でした。戦後はフアシズム国家の形成の一翼であったとの反省から、教員養成を、出来るだけ一般的な教養を身につけることのできるような大学の教員養成課程で行うようにしました。 しかし今後は、教職課程認定を厳格化し、現職教員の研修は、国が設置する教育研修センターで行い、教員採用試験問題を共通問題とするなど国の統制を強化させ、教員免許更新制の継続を含めた教職員の研修を強化するとしています。

■おわりに

 以上見てきたように、学校教育は、子ども・教師に対する統制を著しく強める方向へ進んでいると言えます。
 「滅私」で全体に奉仕することを「美」とする教育から離脱するには、小さいときから自分の意見を持つ、自治の体験を積む、つまり自分で決める体験が必要です。フランスのフレネ学校では幼稚園児でも今日は何をやるかを自分で決め、自分は何をしたかを発表しますが、それを日本でも実践している教師もいます。小さいときから自分のことは自分で決めて、責任を持って発表して人の意見には耳を傾けて意見を言う。それは自治の基本だと思うのです、その訓練を積み重ねていって、知識が身につけば、それが本当の主権者教育だと思います。   

 

 

柳条湖事件から86年・戦争のはじまりを考える
 「嗚呼満蒙開拓団」上映とお話   お話 羽田 澄子さん

                  

柳条湖事件から86年目にあたる9月18日、女性「九条の会」では戦争のはじまりを考える学習会の一環として、女性「九条の会」の呼びかけ人でもある羽田澄子監督をお招きして、「嗚呼満蒙開拓団」の上映会を開催しました。当日は遠方からお見えになった方など多くの方が参加され、熱気に溢れました。
多くの感想が寄せられましたが、紙面の関係でその中からお2人の感想をご紹介します。

 

 長野県は土地のない貧しい県で、長男以外は外へ出さねばならないため、「教育をつける」がモットーとしてあります。教師たちは熱心で、当時代、白樺派(自由主義)教育、綴方教育が盛んでした。労働(農民)運動も同じです。治安維持法が通ると、労働者・教育者など多数検挙が出ました(労働者約600名、教員約50名)それで県は大反省をし、国策に従う推進県となろうとしたのです。渡満の計画が作られ、各村長に押し付け、教員は戸別訪問をして説得したのです。その基に、貧しさがあったことは言うまでもありません。見抜いていた村長は応じなかったり、反対をしたために異端者となったり、自殺に追い込まれたと言います。
 長野県が日本一渡満者を出したのは日本一国策に従う県を推進したのです。私の叔父は少年義勇軍の指導者として行かされ、従兄も小学5年で行き、大変な苦労をして(映画の中の証言に重なります)きました。戦後日本一渡満を出した県としての反省が行われ、満蒙開拓平和記念館ができ、各町村が中国を訪ね、帰ってこられなかった町村民を慰霊しているのです。 泰阜(ヤスオカ)村は伊那谷の中でも村をあげて分村した歴史を持ちます。村をあげてその後始末をしたのです。(当時、田中康夫知事はそのことをたたえて、この村に居住し住民税を村に収めたほどです)。平和祈念館は私と同年生だった村長(岡庭一雄氏)が、信州のこの地にこそこの会館をおかねばならないと作ったのです。
 信州では今、語ることができなかった人々の語りが民放で、地元新聞で続けられているようです。この会館に資料、歴史が次々に届けられ、あの時代の「満蒙開拓」はなんだったのかが少しずつ明かされてきています。3年ほど前
「望郷の鐘(満蒙開拓の落日)」という映画ができ全国展開もしましたが、伊那谷の村々が協賛しました。歴史は一方からのみ見ていてはわからないものがあります。真実を知り、行く手を考えていきたいと思います。                         70代女性


 知れば知るほど悲しく怒りがこみ上げます。昭和4年生まれの姉やその親友が言います。「日中戦争、第二次大戦の一番の犠牲者は開拓団の残留孤児、婦人たちではないかと思う。この問題が解決されぬ限り、あの戦争は決して終わらない。長野県のある村の村長さんは、開拓団を送る国策で、その下見に行き、開拓の真の姿を見て、村の人々を満州に送らなかった由、ブログで知りました。そんな村長さんもおられたこと…。胸が熱くなり、心の中でお礼を申しました。
                                                   70代女性
                         

 

「八王子戦跡巡りバスツアー」に参加して

                            宮良 瑛子(旧姓 藤崎  (沖縄女流美術家協会顧問)

  10月17日は、女性「九条の会」主催の「八王子戦跡巡りバスツアー」に参加し、八王子での戦争の爪痕を知るまたとない機会となりました。八王子に住んで20数年経つにもかかわらず、地元の戦争被害について知らないことが多すぎたというのが感想であり、反省でした。
 参加者は20代から90代の26人。満席のマイクロバスは、雨天の山道を、街中を走りました。広い八王子市内の戦跡すべてを見ることはできませんが、高尾駅から西八王子駅にいたる地域の戦跡を見学しました。車窓からは、あちこちに忠魂碑が目立ちました。
 案内してくださったのは、「八王子平和・原爆資料館」の竹内良男さんと杉山耕太郎さん。多くの資料を準備し、熱心で行き届いた説明をして下さいました。
 見学の初めは、『JR高尾駅構内の1番線ホーム』。1945年7月8日に機銃掃射されたレールが鉄柱に使用されていて、案内表示もありました。その後、裏高尾町の『湯の花トンネル』へ。8月5日、新宿発長野行列車がトンネルに入りかけたところを米軍機に銃撃され180人以上が死傷したところです。線路脇の慰霊碑に花を捧げました。
 るとは。悲しんだ母親が地蔵堂内の一体の地蔵にランドセルを背負わせた事からランドセル地蔵として有名になりました。この日は、特別に公開していただきました。
 元八王子町の『東京霊園』には、東友会(東京の被爆者団体)が、2005年に建立した被爆者の墓があり、「われら命もてここに記す 原爆許すまじ」の碑文が平和を訴えていました。
元本郷町の『八王子平和・原爆資料館』では、小さい部屋に、原爆に関する資料・遺品・手記などが収まっています。ヒバクシャ自身が作った全国唯一の民間資料館です。その中に、広島で強制疎開地作業中に亡くなった中学1年生の豊嶋長生君(12才)が被爆当時着ていた血染めの服がありました。被爆の翌日に亡くなった長生君の服を母親が保管し寄贈されたそうです。この服は、送料負担で、貸出可能だそうです。八王子平和・原爆資料館は、個人の努力での運営は大変で、公的な施設として移管管理等の要請もしているそうです。早く実現できるよう願わずにはいられません。
 最後は、「八王子平和・原爆資料館」隣の八王子市役所食堂で、遅い昼食と交流会でした。
 長崎で被爆した田栗静行さんが、体験を切々と語って下さいました。被爆直後に田栗さんの背中で亡くなった妹さんの代わりに、可愛い博多人形を手元に置きながらのお話に、胸うたれました。交流会では、発言が盛り上がり、時間がいくらあっても足りないほどでした。
 ツアーのなかで若い女性から「『クジョウノカイ』って何ですか?」という質問が出てみんなびっくりしたのですが、「知ってしまったからには行動に移さなければならない」という決意が語られるなど、密度の濃い一日でした。またいつか他の戦跡も巡ってみたいと思います。
※「八王子 平和・原爆資料館」   開館日 毎週 水曜日と金曜日
 10時より4時まで  
 電話042│627│5271
http://hachioujiheiwagennbaku.web.fc2.com/    (堀口暁子)
                                          


 

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